黙って見守る…
今朝、サイパン留学を自主企画した子グマたちから「帰国の途についたよ!」との連絡が!
お城で用意する留学プログラムは数あっても彼らは
・お金、ない!
ここを出発点に友人を集めて留学を「自主企画」
小さい頃、サイパンへ家族旅行した際、現地で知り合った子ども同士で…
「日本ってたこ焼きが美味しいんでしょう?」
「えっ?日本のたこ焼き、知ってるの?」
「知っているけれど、食べたことはない…」
「じゃぁ、俺が食べさせてやるよー!」
こんな他愛ないささやかな会話がついに自主企画留学へと発展し
本当にそれを実現して今、日本に帰る飛行機に乗っています
You MADE IT!!!!!
どうせするなら思い切りとことん楽しみたい彼らは…
・たこ焼きPV制作(より多くのみなさまに召し上がっていただくため)
・サイパンの学校で「僕らに授業をさせてください」との約束を取り付ける
・ナイトマーケット、サイパンマラソンでもたこ焼き振る舞いの段取りをしてしまう
当初、ナイトマーケットでたこ焼きの「お店」を出そうと言う計画でした
「ビジネスとなった途端、就労ビザが要るのにこの子たち、どうするのかなぁ…」
ここも容喙したくなるところでしたが黙って待つと
「売ると捕まるなら配ろう!ってことにしましたー!」
得意満面に言ってきました!若さってすごいわ!(これを待っている私の気持ち、お察しください!笑!)
かわいい子には旅をさせよ…とはよく言いますが、待っている方は気が気じゃない!
↑
私が北米に行ったときも父はこんな心境に陥っていたんでしょうね、きっと!
そりゃ、日本に連れ戻されるはず…
子グマたちが留学してくれたおかげで
「他人の私でもこんなに心配なのにご両親のご心配はさぞかし…計り知れないでしょうね…」
昨日、「ママになる夢」を叶えられなかったと書いたばかりですが
もし、ママになっていたとしても子どものために何かできることって本当に限られていて
10歳以降からは「自分で考え、自分で選び、自分で行動する」のを黙って見守るだけかも
私自身も母校を受験したいと言ったのが4歳、受験勉強を始めたのが9歳
「不合格の時、なんて慰めたらいいのか…」←父はここを心配していたようですが要らぬ心配!んもう!
塾帰りの車から月を眺め、月の満ち欠けを父が教えてくれたこともありました
(教室で教わるより、妙に腹落ちしたんですよね…)
大学受験を巡って父と私は朝、父の車で学校へ行く時間&夕飯の食卓で毎日「大げんか」
母は「お願いだからケンカをやめてください…」と涙を流す始末
これが高校3年間、続きました
父の影響力は大きいけれど、私の人生の決定権は私にあると言うのが私の言い分
父の元を離れて遠くの大学に行きたい私に
「お前がいなくなったらともしびが消えたようになる…」
この一言にはしてやられました
しかし、父の言う通りに生きてきた私は手放しに「幸せ」と言いがたい点もあり
そう言う苦い経験からも、私と接点のある若者が自ら「世界に出たい!」と言い出せば
それはとことん応援するし、反対なんてしない!
失敗してもそれが「自分で決めた選択」である限り、その後の人生にいい影響を及ぼします
私自身もキャリアをデザインする際、単に英語を使うことだけでなく
常に「国際貢献」を意識するのは北米での経験が基盤になっています
私が行ったところは世界の秀才が集う大学で授業によっては「小さな国連」みたい…
人権問題、ジェンダー…SDGsのようなことについて当時、すでに議論する場がありました
もう30年前なんですね…
来週、お城で子グマたちと再会!
成果報告会も各自で用意してくれている模様(1回にまとまらないのが気になりますが…)
そして私にとってはついにお城、ファイナルウィーク!とことん笑ってお別れしますね!